じゆうちょう

大切にしたいから、忘れないために書いてます。普通なことから小難しい話題まで。雑多です。

やっと脱皮できた気がする。

更新するのは久しぶり。

……うん、もう何も言わない。もう何も言い訳しない(震声)

毎日じゃなくても続けることが大切だと思うことにしよう。

不定期でもいいから、マイペースにやっていく。

 

最後に更新したのが2ヶ月前なんだけど、そこから特別何もなかったって言う悲しさ。

いや、無いこともないんだけど……何だろう。

やっぱ自分には文章力が無いんだなあ、とつくづく思ってしまう。

昔から"かいつまんで話す"ということが苦手で、言わなくても良いところは省いて要点だけ伝えるってのが難しくてできない。

まあそういうのも、やらなきゃ上達しないわけで……。でも書くネタもそんなに無く……。いやでも、そもそもこんな風にブログを始めたきっかけよね。

誰かに何かを伝えたくて書き始めた訳じゃなかったんよね。

自分が生まれてからの10年ほどの記憶がなぜかごっそり抜けてて、これからもそんなことがあったら嫌だからってんで何か記録に残しておこうと思ったのと、ブログを始めたばかりの頃は自分の問題が解決しそうでなかなか納得のいく解決法が見つからなくてモヤモヤしてたから、そんなモヤモヤを整理するため、その時の気持ちを大切にしたいから始めたんだった。

それがいつの間にかアプリだの歯医者の話だの、そんな話ばっかりになってしまって。

今思えば自分でも「なんか面白くないなー」と薄っすら感じながらやってたね。

今更ながら気づきました。これは原点回帰せねばならんね。

 

ブログって自分の世界だから、自己満足の世界だから、別に好きなこと書きゃいいんよね。まあそれでもネットだから、不特定多数の人が見てしまうものだから程度はあるだろうけど、内容が面白いネタなのかそうでないかなんて別に気にしなくて良かったのに、色々気にしすぎるからこんな不定期になってしまった(´・ω・`)

大事なこと書き留めておきたかったのに、肝心の大事なこと全然書いてないっていう。

でも書いてない間に、自分の中では少しずつだけど変化はしていってて、書くネタが無いと言ったけど、厳密には何かに書き留めておくほどのモヤモヤが無くなっていったというか。

これが風化というものなのかな。

正直、解決したとは思えないんだけど、そこまで気になるほどでもなくなったというか。

過去をあまり振り返らないようになったかな。

この年になって漸く今を生きてるという実感が出てきた。

心に余裕が生まれたんかなあ……なんかほんと漠然となんだけど、やりたい事とか欲しい物がボコボコと湧いて出てくるようになってきてて。

自分の中でどんな化学変化が起きたのか、自分でも未だによく分かってないってのが新たなモヤモヤではあるんだけど、今までのような嫌なモヤモヤではなくて、少し清々しさがある気がする。

ただひとつその要因を挙げるとするなら、自分とよく似た人と出会ったということ。

今までにも所々似ている人は時々見かけたけど、どの人もあまり周りから良い印象を持たれてはいなくて、正直好かれてはいなかった。そこでいつも思っていたのは「自分ももしかしたらこういう人間だと思われてるのかもしれない……」と不安になることだけ。だから、その人を反面教師にして「こんな人にはならないように気をつけよう」と、言葉を気をつけてみたり考え方も頑張って変えようとずっと努力してきた。

もちろん自分だけの力ではなく、相方さんの助けもたくさんあった。

本当に有難いです。

で、最近出会った人は自分の中ではもちろんのこと、周りからも好印象な人で、とても魅力的な人だった。その人が自分の全てを見せている訳ではないとは思うけど、それでも十分だった。だって今までのボクと似た人はみんな、少なくとも周りからは疎まれていた人ばかりだったから。

初めてだったんよね、自分と似てる人が好かれてるのを目の当たりにしたのって。

ボクは本当に単純な人間で(笑)

そういう人を見かけるだけで、少し自分に自信が持てるようになったんよね。

その人は決して完璧な人間ではない。

どちらかと言えば一般的に普通にできることができなかったり、普通の人の感性とは少し毛色の違う感性を持っている人。つまりちょっとズレてる人。でもその人には、その人ができないところを補える人が近くに居て、その人をちゃんと支えてくれてたり守ってくれてるんよね。

そこで気づきました。ボクの友達や身内にもそういう人が居るということに。

ボクは勉強ができなかったり、知らないジャンルは本当に何も知らない人間なんだけど、分からなければ一緒に考えてくれる人、聞けば嫌な顔をせずしっかり教えてくれる人が居るなあって。そしてどの人もボクと付き合いが長い人ばかりだった。

だから、ボクはボクのままで良いのだ、と。

少ないかもしれないけど、それでも一緒に居てくれる人は確かに居るんだと。

最近出会った人のように、できないことが多くて世間ではそれを嫌がる人はとても多いんだけど、それでもできない事を責めずに受け止めてフォローしてくれる人が中には居るんだと。

ボクはね、ずっとコンプレックスだったのですよ。

普通の人より出来ない事や知らない事・分からない事がすごく多いから。学習障害がある上に、兄がものすごく出来が良く、そんな兄を親はとても愛し、出来ないボクにいつも腹を立てていたから、余計に。

そしてボクと似てる人と出会うたび、疎まれているのをひしひしと肌で感じ、やはり自分のような人間は一般的には受け入れられにくいのだと、いつも寂しい思いを抱いていたから、余計に。

やっと、自分が自分でいることを許してもらえた気がしたなあ。

大袈裟だけど、救われたと思ってる、その人には。

自分に自信が持てたし、その人を愛おしいと思うように自分の事も少しだけ愛おしいと思えるようになった。

もう(出来る人間という)仮面を被らなくても良いんだと、心からそう思えた。

٩( 'ω' )و <Fooooo!!!!

でもその人と出会う前から気持ちが落ち着いてきてはいたから、きっと風化も手伝ってたんだと思うし、色々タイミングがマッチングしたんでしょうな。

 

この気持ちは大事だ。書けて良かった。

またぼちぼち書いていこう。

 

 

 

おわり。