じゆうちょう

大切にしたいから、忘れないために書いてます。普通なことから小難しい話題まで。雑多です。

言葉選びもセンスが大事。

なかなか更新できませんなあ。

仕事は今月はそんな忙しくないので、時間も書きたいことも山ほどあるんですけどね。なんか最近自分の文章が気に入らなくてですね……。

何というか、偉そうに見えるというか、上から目線で言っているように見えてとても嫌で。冷たく見えるというか、なんか言葉の節々に棘があるように感じる、そんな今日この頃。今まで書いた記事を全部消したい衝動に駆られています。

言葉には一応気をつけてるつもりではいるんですけど、後から読み返したら自分で引くくらい「酷いな……」と感じてしまいます。

こういうのって考え出したらキリがないんですよね。負のスパイラルって言うんでしょうか。元々このブログが万人に受けるとは思ってはないんですが、できるだけ読み手が不快に思わないように、そしてやはり基本は活字ですから、少しでも読みやすいよう心がけているつもりなんですが……。

まあ、教養も語彙力も無いので、難しい言葉を使いたくても、そもそも知らないから無理なんですけどね!

そしてふと、前のブログはどんな感じで書いてたかなあ、と。

 

今まで幾つか転々とブログのお引越しはしてきてますが、一つ前のブログは今より関西弁が多かったと思います。ボクの地元が関西なので文字に起こす時も普通に使ってたんですが、なんか最近ネットで嫌われてますよね?関西弁。文章にまで関西弁を使うな!と。最近になってよく見かけます。

まあ確かに文字に起こすと方言というのは少しくどい気がします……が、ボクは友達とLINEやメールなんかでは文字でも関西弁なんです。話し言葉とも言いますかね。友達も同じです。両親や従兄弟などもみんなそうです。話し言葉で文字を打つので、文章も関西弁。

昔、熊本に知り合いが居たんですけど、その子もメールの文章は熊本弁でしたね。だから方言がある地域は文章でもある程度方言が出るものだと思っていたんですが……ネットでは控えたほうが良いのか、と最近の風潮を見ていてそう思って、このブログでも関西弁はネタ以外では使わないように心がけてはいます。

ただ、標準語なんて普段は殆ど使わないので……そのせいか、やっぱり言葉の選び方の問題なのでしょうかね。なんか冷たいなあって思うんですよね。個人的には関西弁が混じったほうが、やっぱり多少なりとも言葉に柔らかみが出る気がするのですよね。まあこれは関西の人間だからそう思うだけなのかもしれませんが。

でも勘違いしないで頂きたいのは、実際「口が悪く怖いコテコテの関西弁」は一般人はあんまり使いませんよ。よしもと新喜劇とか漫才などで使っている関西弁は、どちらかと言えば"TV(芸人)仕様"と言ったほうが正しいかもしれません。

名探偵コナンで言うところの服部みたいな。関西弁として聞けることは聞けるけど、ちょっと強調して言ってる。普通に話す時はあんなに大袈裟にイントネーション上げ下げしないよ、って。ちなみに、あくまで個人的な意見ですが、コテコテ加減で言ったら大阪より奈良のほうが関西弁のイントネーションは強い気がします。

 

てか、関西弁の話をしたかった訳じゃないし。

 

話は戻りまして……ブログというのは不特定多数の人が見るものですし、もう少し文章には気をつけたいところ。言葉選びは本当に難しいですが、文章を書くのが上手くなるにはやっぱり活字を読んで勉強するのが一番なのでしょうかねえ。

実はボクこういう書き方はした事があまり無いんですよね。気持ち丁寧にした文章と言いますか。標準語を使わないので当たり前っちゃ当たり前なんですが、どちらかと言えば、基本話し言葉でずっと書いてた気がします。そっちのほうが思ったことをそのまま書けるので。

やっぱりそっちのほうがいいのかなー。どうなのかなー。

顔文字使えばお手軽なのは知ってますし、実際ボクも若い時はブログでも使っていました。言葉もふんわりして全体的に柔らかくはなるんですが、最近になって年齢のせいでしょうかね……なんか顔文字入ってると文字が読みづらいんですよね。

LINEとかでも、あまりにも顔文字が入ってるとちょっと見づらい気がします。目が悪いせいかな?眼鏡買ったら何とかなるんでしょうかね……。

 

ま、物は試しってことで、もう少し言葉にふんわり感を出せるよう気を遣っていきたいですね。書く内容が重めなものばかりなので、特に気をつけていきたいです。

 

 

おわり。

ある音ゲーマーたちの話。

ボクは今スマホアプリでいわゆる『音ゲー』と呼ばれるゲームをやっています。可愛い女の子たちが歌って踊ってくれてる中、ポチポチとタッチしていくやつです。腕はなかなか上達しませんが、下手の横好きと言いますか、今のところ楽しくやれています。あるひとつを除いて。

そのひとつというのは、ボクは昔アーケードゲームで有名な音ゲーをやっていたことがあるんですね。9個のボタンをポチポチ押すやつです。全体的にカラフルな。そうアレです。

最初は友人がハマってて、楽しいから一緒にやろう、と誘ってくれたのがきっかけ。そこからボクも見事にハマり、それもそんなに上手くはなりませんでしたが、大好きでした。

ですが、ボクよりも圧倒的にハマりこんでしまった友人は、時間があればゲーセンに通いつめ、そのゲームに勤しんでいました。その結果、上級者レベルにまで到達するほど上達した友人。好きこそ物の上手なれ、とはまさにこの事ですね。

ボクとの腕の差は明らか。それでも変わらずボクを遊びに誘ってくれて、ゲーセンでゲームをする日々を送っていました。

しかしある日、近所のある店の上にゲーセンが新しくできたんです。そこは音ゲーが充実しているゲーセンで、某9個のものはもちろん、ギターだったりドラムだったり円盤だったりと、それはもう盛り沢山で。他にも太鼓やダンスのやつもありました。

すると一気に、今までどこにたむろしていたのか……音ゲーマーと呼ばれる方たちがこぞって集まってきて、主に音ゲーマーの交流の場となったわけです。

そこに友人が通うようになって、しばらくしてから、友人から「今度からそのゲーセンに行こう」と誘われて。今まで行っていたゲーセンは規模も小さめで、どちらかと言うとビデオゲームが主流だったため、完全に音ゲーにハマっていた友人にとって、新しくできたゲーセンは天国のような場所となったわけです。

それからというもの、その新しいゲーセンに2人で通うようになるのですが、ボクが一番最初にゲーセンに行ったとき、バイトが終わってからなので夕方だったんですが、人が数人しかいなくて。

でもその数人は、既に友人とは常連仲間くらいの仲になっていました。来て早々友人は、休憩スペースの誰も座っていないテーブルの上に自分の鞄を置き、座りもせずそのまま音ゲーコーナーへ直行。

ボクはその友人の横に立って、友人のプレイを大人しく見ていたんですが、終わると次はドラムのほうへ行き、プレイ。いつの間にかドラムができるようになっていたんですね。

そして次はギター。これもなかなかの腕。そして次に円盤。これもそこそこ。てか、譜面のスピードが早すぎて譜面が全く見えなかったです。そしてふと周りを見ると、いつの間にか人が多くなっていて。客層は比較的若い層ばかりで、大体が中~高校生から少し上。社会人もいましたがみんな20代前半でした。

そこには各々好きな音ゲーをプレイしているのですが、みんなすごく上手くて、平均で上級者レベルの人ばっかりでした。

そこで思ったんです。「ああ、ここはガチの人たちばかりなんだ。ボクみたいなレベルのやつは場違いなんだ」と。

それでも一応、通ってはいたんですけど実際、意識高い系の人が非常に多く、ボクの腕がなかなか上達しないことを指摘されたり、ちゃんと練習してる?と高圧的な態度で接して来られたり、腕の差も歴然だったので話が合う人もいなくて。

だからといって、普通の世間話をしても無視されたり、避けられたりすることが多々あって。一度友人に「あそこのゲーセンの人たちは、ゲームが上手い人としか仲良くしないのか?」と問うたところ「そんなことはないと思うけど、アドバイスはしっかり聞いたほうがいいと思う。ゆまるのために言ってくれてるんだから、期待に頑張って応えてないと判断されれば、愛想はつかされちゃうかもね」と言われました。

ボクはただ、ゲームを楽しくプレイしたかっただけなのに、いつの間にかガチの人にスパルタ教育をされて『俺らのアドバイスで上手くならないと、仲間外れにするぞ』というプレッシャーをかけられて、大好きだったゲームが全く楽しめなくなってしまいました。

中には、スコア重視の人を「スコアラー」、クリア重視の人を「クリアラー」と決めつける人まで現れたり。

ちなみにボクはクリアラーだそうです。曲をクリアしたら満足するタイプだそうです。スコアラーは、最高記録更新に重きを置いているので、1曲1曲の質が上がる=上手い人ということになるそうです。

結局、そのゲーセンで仲良くなれた人は誰一人としていませんでした。


そんなことがあり、徐々に音ゲーをしなくなったのですが、アプリなら腕前を直に監視されることもないですし、ひとりで黙々と楽しめるのでだいぶ気が楽ですね。

でもやってる最中に、ゲーセンに通っていた頃のことを必ず思い出してしまい、MISSをするたびに、当時背後からずっとボクのプレイを眺め呆れた顔をしていた常連の人たちの顔が浮かぶんです。

もう一種のトラウマ状態になってるんでしょうね。今でも1曲でPERFECT(MISS無し)ができないと、まるで自分がダメな人間のように思えて辛くなります。なのに、やっぱり好きだからやってしまい、思い出して辛くなる、その繰り返しです。楽しいんですけどねっ。


何といいますか、これはゲームに限った話ではないのですけど、それを楽しむために集まっているはずなのに、最終的に一番重要なのは"人間関係"になってしまうものは、早々に身を引いたほうが良いと思います。

仕事ならば、人との関わり合いですから人間•上下関係は重要ですが、ただの遊びの腕前だけで関係が左右される環境ははっきり言っておかしいと思います。

結局ボクは、元々通っていたゲーセンに戻り、やらなくなるまではずっとそこでゲームをしていました。そのゲーセンには、元々ガチ勢が集まるほうのゲーセンにいて、ボクと同じようにガチ勢のガチっぷりにドン引きした人たちが避難しに集まってきていました。

その人たちとはやっぱり気が合ったのか、すごく仲良くなれましたよ。それにみんな音ゲーだけじゃなくて、格ゲーもシューティングもすごく上手なんです。基本的にゲーム自体が好きな人たちで、純粋にただゲームを楽しみたかっただけの人ばかりでした。

時々「スコアラー•クリアラー差別」をした人も偵察?で来たことがありましたが、その人は「ここはクリアラーの人が多いんだね。向こう(ガチ勢のほう)はスコアラーが多いんだよ」と再び勝手な持論を語り出すので、厳ついビデオゲームの常連勢と店員に追い出されてました。

楽しみ方は人それぞれです。ハマってガチ勢として楽しむも良し、ただ好きなものを気軽に楽しむのも良いんです。でも、その楽しみ方を勝手に決めつけて強要するのではなく、大切なのはその人の楽しみ方を理解することなのではないでしょうか。

自分の物指しだけで物事を見るのではなく、人の数だけ物指しがあることを理解して、上手く住み分けができるように心掛けるのが大事なのだと思います。

その後友人とは数回会いましたが、行動範囲が分かれたからか、いつの間にか疎遠になってましたね。共通の知り合いに聞いたのですが、どうやら友人はそのゲーセンの店員となって、開店する前や閉店後を利用して音ゲー独り占めし放題の生活を送っているようでした。やっぱガチ勢ってすごいですね。




おわり。

グラブル、再熱。

今日は久しぶりにグラブルの話でもしましょうか。もうだいぶ長いことグラブルの話題は出ていなかった訳ですが、原因はボク自身少しグラブル熱が冷めてしまっていたからなのです。

ボクが思うグラブルの魅力というのは、イベント関連のストーリーの良さと魅力的なキャラクターです。でも最近のグラブルはストーリーにもあまり力を入れているとは思えず、キャラクターも属性が偏っている上にそこまで「欲しい!」とは思えず。

しかもイベントで貰えるキャラクターって、言っては悪いですが弱い気がするんですよね、武器アリのキャラクターたちと比べて。ボクの気のせいなんでしょうか。それともやっぱり専用の武器が無いから?全部が全部ってわけでもないですが、何かのコラボイベントで貰うキャラ以外は正直、貰ってもボクの腕では扱える気がしないのです。

なので最近は、イベント関連は選んでやるようにしています。元々、コレクション魂のようなものは持ち合わせていないので、モチベーション的にはすごく楽になりました。そしてここ何ヶ月かはコラボイベントが多く開催されており、しかも個人的に馴染みのあるものばかりで(サクラ大戦とかテイルズとか)やる気が再び戻って参った次第であります。

 

そしてそして、何よりも、やっと全属性にSSRのキャラがスタメンに入るようになったのも大きいですね。今年の正月辺りから、何やらガチャの出が良くてですね。確率UPしているキャラたちがなかなか引けないのは少し悔しいのですが、大してUPしていないであろうキャラたちの引きはそこそこ良くて。

ちょっと見てくださいますか(※画像が少し大きいかもしれません)。

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これ、入手順に並べたキャラ一覧なのですが(見にくいですが下からどんどん新しくなっています)、1枚目の画像の一番下のメーテラさんからもう既に始まっていたんです。その後にサンタラカムがいますので、もしかしたら去年のクリスマスから調子が良かったのかもしれません。メーテラさん後、アンリエッタGET。それまで火力がイマイチだった風属性が一気に強くなりまして。

正月イベントでアニラを貰った後に、たぶん正月ガチャをしていますね。そこで一気にSSRを3人もGETできたんです。ヴァンピィ・サルナーン・カリオストロ。確か、ヴァンピィとサルナーンが1回のガチャで出て、その後もう1回ガチャしてカリオストロが出たんだったかな。正直ウハウハでした。

その後はしばらく回していないのですが、ヴィーラとソフィアは確か、1枚だけ持ってたレジェンドガチャチケットで引いたものだと思います。その時はレジェンドガチャチケットでSSRなんて出るんだー、ってビックリしましたね。ずっとレアとかSRでも召喚石とかばっかりだったので。

そして、つい最近ですかね?水属性のキャラ確率がUPしていた時に、リリィとアルタイルをGET。本当はリルルちゃんが欲しかったのですけどね……それでも2人も出たので十分です。

そんな訳で、各属性のパーティが一気に潤いまして。ですが、この画像を見て気付く方もおられるでしょうが、一向に限凸が進んでおりません……。まあ、イベントをやらないからっていうのもあるんでしょうが、これでは流石に宝の持ち腐れ。頑張ってアニマ取らなきゃですね。がんばるぞい。

 

それから、これは余談ですが、かなり前にモブで出てくるドラフ族の女の子が可愛いとぼやいていたのですが、今回のテイルズコラボイベで、漸くその子に会うことができたので、一応貼っておきます。

 

 

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では、今日はこの子を眺めてhshsしながら、〆ますね。

今回のテイルズコラボイベントのことは、気が向いたら書きますん。

それでは、また。

 

 

終わり。

躾による体罰と虐待について。

最近の子供の虐待や躾によるニュースが増えていますね。それにより「躾と虐待の線引き」が毎度話題になっています。が、その虐待報道がされるたびに、何やらもやもやとした感情が出てきて。

こういう躾の話になると「親の立場にならないと分からない」「子供を持たないヤツにとやかく言われたくない」と言う人がこぞって出てくるんですが、じゃあ親の立場になっていない人はこの話の土台にも乗れないんでしょうか。

まあ、そんなバカな事がある訳がないとボク自身は思っていますので、気にせず思ったことを書いていきますけれども。

 

さて、この躾・虐待関連のニュースを見ていていつも思うのですが、TVのコメンテーターの方たちがみんなして「躾と虐待の線引きは難しい」と言っていますね。確かに何が間違いで何が正しいのか、それは親の個々の考えなので一概にこうとは言えない問題です。でも、なぜそんなに難しいのか。なぜ、なかなか「これだ!」という答えが出ないのか。それは、意見を言う側がみんな"親側の意見"だからだとボクは思うんですよね。

TVに出ているコメンテーターの方だって、専門家の方だって、きっと子供を持つ一親の立場の方が大半でしょう。日常的に手をあげられる子供は可哀想、でも親御さんの気持ちも分かる……。みんながみんな揃ってこう言って、結局は堂々巡りの状態。

でもそんなの、当たり前なんじゃないでしょうか。親側の意見をずっと語っていても、答えなんて見つかる訳がない。言い方は悪いですが、結局は親の気持ちを優先してしまうのですよね。それが悪いと言うわけではないですが、それじゃあ解決なんて無理だろう、って話です。

ボクがいつも思うのは、なぜ『虐待された側の意見』というのは出てこないんだろう、ということ。この件になると出てくるのは決まって"親側の意見"。虐待された側の意見はなぜ取り上げないのでしょうね。

まあ、小さい子供に「虐待についてどう思う?」なんて聞くのは無理がありますが、何も虐待されて育っているのは今の子供だけではありません。昔に虐待されて育った子供が今は大人になって社会に出ている人だって居るはずです。

そんな人たちが、今はどんな性格の大人になって、どんな気持ちで日々を過ごしているのかとか、親に対してどんな思いを抱いているのかとか、虐待された出来事が生きる上でどのような弊害となっているのか、など、もう少しきちんと取り上げるべきだと思います。

ボク個人としては、虐待された側の気持ちが公にならないから、だから線引きが難しいのではないか、と思うんですね。実際、ボク自身"虐待された側"なんですが、こちらから言わせてもらえば線引きはそんなに難しいことではないからです。

 

ボクとしては、基本『躾・教育として実行する体罰は意味がない』と思っています。特に子供が小さければ小さいほど、叩いても殴っても効果はないだろうな、と。現にボク自身、叩かれて教わったことはほとんどと言っていいほど覚えていないからです。

どんな理由があって叩かれていたのか、全く分からないのです。自分が悪いことをしたのか、それとも親の虫の居所が悪かったのか、ついカッとなって叩いてしまったのかが、未だに分からないのです。

でも、意味無く叩かれるなんてことはたぶん無いとは思うんです。叩かれる理由が、小さかろうが大きかろうが、例えすごくつまらないことだったとしても、何かしら訳があったのだと思っています。なので、それだけ親が怒るほどに何かやらかしてしまったのだろうな、という思いはあります。

すごく漠然とした罪の意識なんですが、そう思ってるほうが自分の気持ちの中で一番楽なんですよね。だって、それ以外に原因があるとするならば、それは理不尽の何物でもないので。ただただ悲しいじゃないですか。そんなのイヤです。

ボク自身、ガスホースやベルトや靴べらや物差しという色んな物で日常的に叩かれて学んだことと言えば「叩かれると痛い」ということと「うちのオカンはヒステリックで恐い」ということだけです。

うちの親がただ子供に恐怖を植えつけたかったのであれば、作戦は大成功ですね。効果は抜群です。でももし『生活していく上での大切なルールやマナー』を教えていたのであれば、完全な大失敗と言えます。

確かに、手をあげれば、子供はちゃんと親の言うことを聞くようになります。でもそれは、ちゃんと善悪を理解しているからではなく、親を怒らせると恐いからです。言うことを聞くようになる"だけ"です。返事だけは良い新人と一緒です。親の目の届かないところでは確実にやります(やりました)。

なので、何かを教えるために体罰というのは基本的に効果は低く、よって不必要なものだという認識でいます。

 

ただ……時には必要になる場合もあると思っています。例えば、子供が他の誰かと喧嘩をして暴力を振るってしまった時。当然、子供を叱りつけますよね。そして親御さんの中には、殴られる痛みを知らないから、平気で人を傷つけるんだ、と思う方もいると思います。では一度、殴られる痛みを教えてやらなければ……と、一発ぶん殴るお父さんは今も昔もおられるんじゃないでしょうか。

ボクとしては、この考えは間違ってはないと思うんです。もしかしたらもっと他にも良い方法はあるかもしれませんが、痛みを知れば人に優しくなれると言いますし、こういう躾方もアリなんじゃないかと。

でもボクは、一発ぶん殴って「自分のやったことを反省しろ!」で終わりにするだけではいけないと思います。基本的に誰かを殴ることは悪いことです。悪いことをしたら「ごめんなさい」ですよね。躾のためとは言え、殴ってしまった子供に対して親がまず謝る。ここまでが『躾』なのではないでしょうか。

親が殴ったことを謝らなければ示しがつきませんし、そもそもは「殴ることは悪いこと」ということを教えるためにやった行為ですから、悪いことをすれば謝るのは当たり前のことです。でも、その当たり前のことができていない親御さんって結構いるのではないかと思うんです。

例え、上記のように理由があって子供に手をあげてしまった場合でも、ついカッとなって手をあげてしまった場合でも、いいです。それはもう仕方のないことです。人間ですし、衝動的にやってしまうことってあると思います。

でも、悪いことをしたら謝ってほしいんです。親の威厳が、とか、子供に頭を下げるなんてみっともない、とか、そんな気持ちは今すぐ捨ててください。謝るだけでかなり違うと思うのです。

 

ちょっと考えてみてください。もし自分が年をとって、若い頃と比べて知能も低下し、体力も衰えてしまったとき、自分の子供や何らかの施設にお世話になることになったとします。

仕方のないことですよね、年齢によってできないことが増えていくのは。ですが、周りはそんな年をとった自分に些細なことで腹を立てます。

「もう!一人で出歩かないでって何度も言ってるでしょ!」

「薬が飲みづらい?そんな子供みたいなこと言わないで、さっさと飲んじゃって!」

最初は大きな声で怒鳴るだけでしたが、そんな日々の苛々が募り、最終的に自分が何かいけないことをしてしまったとき、周りの人が自分の頭を叩いたり、手や腕・足を力いっぱい抓るようになってしまったら、どんな気持ちになりますか。

痛いって言っても、やめてくれなかったら。

 

何かを教えるために体罰は必要……と、それを『正当化』するならば、このお年寄りに対しての周りの行動も『正当化』されるはずですが。

 

痣は時が経てば治ります。

打撲や骨折は病院でちゃんと治療すれば治ります。

でも心の傷は治りません。

時に化膿し、血を出し、膿を出し、ずっと痛みます。

運良く傷口が塞がったとしても、傷跡は一生残ります。

どんなに頑張っても消えません。

お医者さんでも治せません。

 

体罰を『正当化』しないでください。

 

ちなみにうちの親は、未だ謝ってくれていません。悪いことをしたということすら感じていないようです。手をあげていたのは母親で、最近分かったことですが、そのことを父親も知っていました。元警察官ですが、ボクらがそんな思いをしているのを知っていて、何にもしない人でした。

どうやら母親と同じく、子供に対して手をあげること=悪いこと、という認識がないようです。我が家のお上は、だいぶ前から腐りきっていたようです。今も子育てに奮闘している世の親御さん方には、うちの親のようには決してなってほしくないですね。

 

どこで見たのかは忘れましたが、前に見た記事でのコメントで、すごく同感した言葉がありました。

『もし本当に、殴ることで相手の考え方を変えたり諭すことができるのであれば、私は虐待している人をボコボコに殴って、虐待をやめさせることができるかどうか試してみたいです』

ぜひともやってみたいですね。

 

最後に。

知っていますか。子供って、どんなに酷いことをされても、親のことは大嫌いになれないのですよ。どんなに痛いことをされても、どんなに恐いことをされても、やっぱり好きなのです。嫌いになれるものなら、なってみたいです。いっそ嫌いになれたらどんなに楽かと思うのですが……どうしてもできないのですよね。

不思議です。何でなんでしょうね。

遺伝子か何かが関係しているのでしょうかね。

 

 
 
おわり。

兄貴"風"ってすごく生温そうな風。

久しぶりの更新です。間がだいぶ空いてしまいました。一応、更新分は書いてはいるのですが、上げるまでには至らぬことが多く、今も下書き保存した記事が大量に溜まっております。それを少しでも消化してしまおうと。がんばろう。

 

自分のここ最近は、仕事のほうはまあ順調。GWは相変わらず忙しかったですが、後半は徐々に落ち着きを取り戻してきました。

でもまた来月がハードなんですよねえ……。いつも6月は定期で大きめの現場が入ってて、しかも梅雨の時期なのでジメジメしてて気分も落ち気味になるので、何とか自分のモチベーションを上げていきたいところ。

 

さて、今日は少し仕事の話をしていきたいと思います。

初めて言うと思いますが、ボクの職業は清掃業です。いわゆる「美装屋」というもの。主に床の洗浄やワックス掛けを行っているビルメンテナンス系のお仕事です。社長がいて、作業員が数人いる小さな会社です。

現場はピンからキリまでありますが、基本的にはオフィスビルや事務所、飲食店の床を扱っていますね。学校や病院なども時々あるかな。まあ道路や土以外の床があればある程度どこでもやります。

で、現場によっては他の美装屋さんともバッティングすることがあります。店舗内の床などをやっていれば大体はガラス屋さんが多いですかね。その際は見ず知らずのガラス屋さんだったり、顔見知りのガラス屋さんだったり色々。

先日行った現場でも、社長の知り合いの(ボクらも何度か会ったことがある)ガラス屋さんと作業する機会がありまして。まあ一緒に作業すると言っても、作業場所は違いますが、移動する際に何度か顔を合わせることがありました。

そのときにですね、ガラス屋の親方に言われたんです。

 

「モップの絞り方が様になってきたね~」って。

 

ちなみにモップの絞り方や洗い方は、本当の初心者が一番最初に社長や先輩方から教わることです。新人が一番最初に入らされるのもモップの作業です。モップはいわば初歩中の初歩。

ですがボク、この会社に入ってもう5年も経っているんです。会社内では一番のペーペーですが、それでも初心者からは当の昔に脱していると思っていました。ボクは今のところ、全作業工程ができます。

それらを披露するときは限られていますが、社長からも「○○(先輩の名前)に時間があるときは教えてやれと言ってあるから」と言われましたし、言われた通り先輩には暇を見つけてもらい教えてもらっています。

 

そして今現在では社長がその現場に居なくとも先輩とボクだけで幾つか現場も任されています。一般的に、はたまた他の会社がどれくらいの期間と割合で全作業工程を新人に教えるのか、そして新人がその工程を覚えてから、どれくらいで一現場を任されるのかはボクは知りません。 

ただ、いつもお世話になっている清掃会社では、社員以外には「ポリッシャーもワックスもやらせない、触らせない」と決めているところもあります。うちの社長も「ポリッシャーができる人はできるが、できない人は本当にできない」と言っていましたし、ワックスに限っては「センスの有無の問題」とまで言っていました。

この清掃業というのは、一般の方や他の業者などが思っているよりも、経験・テクニック・コツ、そしてセンスが必要な職業なんです。うちの社長もそうですが、基本的に現場で指揮を取る方は、言い方は悪いですが偏屈が多いです。職人肌系の方ですね。拘りが非常に強く、周りが考えるよりも更に自分たちのやった作業に対して、誇りと自信を持ってやっておられます。もちろん、ボクらもです。

入ってからこれまでも、一通りの床洗浄はしてきました。Pタイル・カーペット・石・フローリング・コンクリート、更に剥離洗浄などなど。社長や先輩たちに比べれば知識はまだまだですが、他のアルバイトの方よりは自信も腕もあると自負しています。

 

自信が徐々についてきたんです、清掃業者としての腕に。もしかしたら無意識にその自信の表れがガラス屋の親方の目に留まったのかもしれません。それならば普通に褒めてもらって嬉しいことなのですが、実はそのガラス屋の親方、前々から他人や作業工程を軽く見るクセがあるんです。軽く……というか、舐めくさる、と言いますか。

普段から「床の清掃なんて見よう見まねで何とかなる」なんて爆弾発言を平気で言い放っています。現に、床清掃の腕を身につけたいとのことで、以前うちの社長のところにやり方を教えてもらいに来た際に、一からそれぞれの作業のやり方を教えようとしたところ「あ、やり方は分かってるので(教えてもらわなくても)大丈夫ですよ。いつも窓やりながら他の業者のやり方を見てるので」なんて言ってうちの社長を唖然とさせてました。

じゃあ何を教えてもらいに来たんだ、となるじゃないですか。要は具体的に『どういうことをすれば床がキレイになるのか』と『どんな洗剤を使っているのか』。あとは気をつけるポイントのみです。それさえ教えてもらえば床清掃ができると思い込んでおられるんです。

しかもその日教えたのはポリッシャーだけ。後にも先にも、それ以外のことを教えてもらいに来た日はありませんでした。

 

そんな人に……そんな、作業の事なんて微塵も理解してないような人に、モップしてる姿が様になってきたなんて言われて、何というか、すごい屈辱で。普段からものすごい兄貴風吹かしてくるんですよ、ガラス屋さんなのに。

でもね、やっぱり床清掃の腕はね、残念なのですよね。何度か床の清掃業者としてやっている姿を見かけたことがあるんです。作業がめちゃくちゃ雑でして……。「床をキレイにする」ためではなく「ただやれば良い」というのがひしひしと伝わってきて。

でも、心が狭いかもしれませんが、それがあるから、ボクも理性を保っていられるというか。『口だけ兄貴』以外の何者にも見れなくて。でも、それで良いとも思っています。

だって、ガラスの腕は流石なんですよ。本当にピカピカなんです。それはボクにも先輩にも真似できません。うちの社長はガラスはできますが、あまりにも高さがあるところは怖いのでガラス屋さんにお任せしているようです。鳶職人の方や電気工事の方などもそうですが、高所で作業ができるって、普通の人には真似できないすごい事だと思うのです。

そんなすごい事をやってて、それだけで尊敬できるのに、そんな舐めくさった性格をしてるのがとても残念で。見た目はほんと、まともそうなお兄さんなんですけどね……。

人は見かけによらない。悪い意味でも本当にそう思います。

親方がいつか気持ちを改めてくれる日がくることを願って……。

 

 

 

おわり。

カレーが苦手な自分でも食べられたカレー。

昨日の晩ご飯にカレーを作ったんですよ。みんな大好きなカレー!ですが、以前にもちょっと触れましたがボクはカレー好きじゃないんですよね。

yumaru0x0.hatenablog.com

 別に嫌いってほどでも無いし、食べられるんですけど、一口食べ、二口食べればごちそうさまできるくらい、好きではありません。カレーパンは好きです。カレーうどんも辛さを調整すれば食べれますし、好きです。でもなぜかカレーライスだけ好きではないんですよね。辛さを調整しても、ウゥン…モウイイデス…、となってしまって。

カレーってなんか"渋み"がありませんか?ボクだけでしょうか。隠し味なんて入れてない、ただの普通のカレーなのに、何だあの渋み。中辛と相まって喉にクる。その後、何か喉に毛玉のようなものが絡まった感じになるんです。「ん゛っ!」てなるんですよ。

ボクは元から香辛料系の辛さがニガテなこともあり(大丈夫なのもありますが)、実家にいる頃からカレーの日は、ボクだけポケモンカレーかハヤシライス(レトルト)でした。

今でもカレーと言えば、相方さんはレトルトカレーの中辛、ボクはハヤシレトルトだったんですけども、相方さんが都道府県別でカレー消費量No.1の鳥取県出身なので、やはりカレーは大好物なんですね。だから、ほんと気が向いた時だけたまーに作るんです。

で、最近CMでやっていたグリコの『ZEPPIN』というカレーのルゥが美味しそうだよね、と我が家で話題になりまして。

www.glico.com

中に何やら旨みペーストのようなものが入ってるんですよ。それが、カレー好きじゃないボクでも「なんか美味そう……」とうっかり思ってしまうくらいに。なので、じゃあ今日はこれにしてみようかと。スーパーで1箱購入しました。

入れたのは人参・新玉ねぎ・じゃがいも、そして牛肉です。至ってオーソドックス。最初は箱の裏の分量通りに作ってみたんですが、ルゥを入れる前の煮込みで水分が殆ど蒸発してしまい、煮物のようになってしまったので、仕方なく水を足しましたが他は普段通りでした。

ボクいつも思うんですが、カレーの箱に書いてある8皿分とか10皿分って、どういうお皿に入れての分量なんでしょうか。ボクん家だと毎回3・4皿が限界なんですけど。あのレシピじゃ絶対書いてある分の量は作れないんですよね。もしかしてみんなお茶碗でカレー食べてるの?それとも小鉢?それか、食品会社の担当者の食が細いんですかね。

まあ何にせよ、この『ZEPPIN』カレーを頂いたわけなんですけれども、えっと、普通に美味しかったです。ボクでも食べられました。ボクはカレーうどんで食べたんですけど、そこそこカレーにうるさい相方さんでも「美味しい美味しい」と言って食べていたので、やっぱり美味しかったようです。

普段、一からカレーを作るときは相方さんのこだわりで、こくまろと熟カレーの融合カレーだったんですけど、ZEPPINはこれひとつだけで美味しかったです。でもやっぱり辛かった……まあ中辛だから仕方ないんですけど、生卵2つ入れても辛かったなあ。

でも、ボクの気になっていた渋みもこのルゥでは感じられませんでしたね。個人的にはすごく優秀だと思います。それに我が家で満場一致で「美味しい」と感じられたカレーは他には無いので、それを見つけられたのは大きいなと思います。やったね!

 

でもやっぱり、当分カレーはもういいかな、うん。

ごちそうさまでした!

 

 

おわり。

人間の半分は「欲」で出来ている。

今日から4月ですね。昨日はお世話になったフォロワーさん達に挨拶をして、自分が投稿した画像や何やらを眺めつつ、少し寝てから先ほどアカウント削除をしてきました。

自分が投稿した画像なんかを見てるとやはり少しもったいない気がしましたね。自分の世界を崩したような感じがして。大好きだった「どうぶつの森」関連の呟きやSSが、これでもう消えてしまうのかと思うと、自分で決めたこととは言え、寂しくなってしまいました。

でもまあ、仕方のないことですね。うん。

で、ちょっと前の記事でTwitterを辞めるうんぬんを書いたときに、自分自身を『人間味の無い人間』だと書きました。

それで調べてみたんですが、どうやら「人間味」と「人間くさい」は似ているようで少し違うみたいですね。

「人間味」というのは、人の温かみや人情的なものを指すようですが、対して「人間くささ」は人間が不完全であるが故の言動、また、善し悪しはどうであれ、共感できる感情や気持ち、などが当てはまるそうです。

なので、ボク自身を指す意味合いとしては後者「人間くささが無い人間」というほうがしっくりくる気がします。今日はそれについて話していきます。


さて、人間くささですが、人間が不完全であるが故の言動、そして善し悪し関係なく、共感できる気持ちなどを指すようですが、これを見たときに、なるほど……と自分でも納得できてしまいました。確かにボクは人間くささが感じられにくいタイプの人間なのかもしれない、と。

ボクの母親はある宗教団体に属していまして、名は伏せておきますが、そこそこ名の知れたキリスト系の新興宗教です。

その宗教の目的というのは、今の世をどうにかしようという訳ではなく、神様により近い存在になって、死後の世界で神様に近い場所で何の苦労も悲しみもなく楽しく暮らすことです。まるで夢のようなお話しですね。まあ実際、夢物語なんですけれども。

そこでポイントなのは「神様により近い存在になること」なんですけど、母親がその宗教にお熱になったのが、兄が2歳かそこらで、ボクがまだ母親の腹の中でぬくぬくしてた頃みたいです。

宗教に入る方というのは、大半がこの今の世で何かしらの"生き辛さ"を少なからず味わった方々だと思うので、たぶんボクの母親も何かしらで悩みに悩んだ結果、入ったのだと思います。

元は母親も真面目な人ですから、その宗教の教えをしっかり学んで、神様により近い存在になろうと躍起になったはずです。そしてもちろん、自分の子供も同様に。

ある程度年を重ねると自分自身の融通が利かなくなってきますが、子供は違いますよね。一から人間の根本を構築できます。良い言い方をすると躾、悪い言い方だと洗脳と言います。

その"洗礼"をボクはもろに受けた訳です。兄は要領が良かったのか、それとも元々良い子だったのかは分かりませんが、より洗礼を受けたのはボクのほうでした。

どんな洗礼だったのかは言い出すとキリが無いので割愛しますが、簡単に言うと「この世で生きていくための術を殆ど教えず、飴無しムチばかりの厳しい世界で、神様に近い存在となる為の訓練をしていた」というような感じじゃないでしょうか。

人間として生きる為に育てられたわけではなく、神様に近い存在になる為に育てられていたわけです。まあ、そんな親の希望虚しく、その目論見はボクが小学5・6年のときにあえなく崩れ去ったわけなんですけれども。

まあ、崩れ去ったお陰で、神様に近い存在に成りきらぬ人間で留まったわけなんですけれども、それでも20歳くらいまではそんな親と共に住んでいたわけですから、知らぬ間に根付いてしまっていたものがありました。

それが「無欲」です。欲というのは良くも悪くも、生きる上での大事なエッセンスになりますよね。欲の種類も結構あって、人間の三大欲求と言われる食欲・睡眠欲・性欲と続いて、大きなものでは独占欲や支配欲、物欲、自己顕示欲や承認欲求なんかも含まれるんでしょうか。

その中でボクが人並みに持っているのは、自己顕示欲くらいなんじゃないでしょうか。こうしてブログをやっているわけですし、少なからずあるでしょう。でもそのくらいですかね。昔は承認欲求も多少あったかも、というくらい。ほぼ無欲に近いんですよね。

欲が無いだけでも人間くささはだいぶ薄れます。というか、人間の大半は欲なんじゃないかと思うくらい、人間にとっての「欲」というのは大きな存在だと思います。

欲が無いと、まず自分が楽しむことができないんですね。欲が無いから、したいことも欲しい物も無い。まあ自分が欲してないから、そこまで不便に感じたことは無いのですが、問題は誰かと接するときですね。

異性とお付き合いをしたときなどに、必ずイベント事というのがあります。誕生日やクリスマス、バレンタイン・ホワイトデーなど。

相手の方も「何か欲しい物ある?」と聞いてくれるのですが、何せ欲しい物があまりないので(あっても服などの消耗品)、別に無いと答えて幾度も困らせたことがあります。

そして何とか相手の方も捻りに捻って、プレゼントをくれますよね。ならば、今度はお返しをしなければなりません。これが一番苦痛なのです。

相手の方が欲しい物を挙げてくれれば、万事解決なのですが、そこで繰り出す禁忌の技何でも良いよ」を発動するわけですね。

これが一番困るわけです。いや、これはみんな悩まされる言葉ではあると思うんですけど、大体友達などに「何をあげれば良いのか」と相談すると、また相談相手が必殺技を繰り出すわけです。その名も秘技自分が欲しい物とか、貰って嬉しいものをあげればいいと思うよ」です。

無えよ!欲しい物無えんだよ!そんな、責任取りたくないからって秘技で逃げないで!こっちは真剣なんだよ!と。

しかも何?貰って嬉しいもの、だと……?

何でも嬉しい自分はじゃあどうしたらいいんだよ!その言葉通りに何でもあげちゃったら絶対ダメだよね?めんつゆとかあげちゃったら絶対ダメだよね!?ボクは嬉しいけどね!絶対ダメだよね!!と。

欲の無い人間は、相手の気持ちを理解できないんです。相手の欲してる物も事柄も言葉も分からないから。自分には無いものなので。

だから、Twitterだけではなく、人とコミュニケーションを取ることが苦手なんですね。子供は何にでもストレートに言葉を発してくれますから、時に大人が傷つくような言葉を発動してガラスのハートが打ちのめされることはありますが、基本分かりやすくて大変助かります。

ですが大人は……本当に難しいですね。回りくどくて、遠回しで、曖昧な言葉でボクを翻弄します。なので、男女関係なく正直な人が好きです。分かりやすいので。


欲が無いと、結構色々な問題にぶち当たります。相手の言動のひとつひとつの意図を考えなければならないし、本っ当にすごく小さなことでめちゃめちゃ悩んだりします。

自分にとって不可解な事柄が多すぎるのです。なので、そんなときは、相方さんに相談するのが一番手っ取り早いですね。

こうやって言う時は、相手はどんな心境なのか、とかね。その言葉を言う意図は?とか。相方さんにしてみれば「そんな小さなことまで深く考えるの?」と思うみたいですが、やはり分からないのは嫌な性分なので。そして、自己判断だけでは偏りが出ますしね。できるだけ"普通の人間に近づく"ことが必要だと思うわけです。


まだ、自分には欲が無いと気づく前、あまりにも相手の気持ちが理解できなくて、友人と少し口論になったことがあります。

友人には当時付き合っていた彼氏が居たのですが、彼氏が女友達と連絡を取っていて、それがとても不快だと言っていて。

私と付き合っている間は、私以外の人と連絡を取らないでほしい、という気持ちをボクに分かってもらおうと話してくれていたのですが、ボクには独占欲というものが無いので、相手の人の気持ちが理解できず「ボクは気にしない。例え付き合っている間柄でも、相手の行動をコントロールする権利はないと思ってるから」と言ってしまいまして。

すると友人は冷めた目付きで「ご立派だねえー(棒)」と言われて。明らかに嫌味と取れるような言い方で、ありゃ、何か間違ったかな?とその後1人悶々とした覚えがあります。

こういう小さな事が多々あったわけです。分からない間はとてもしんどかったですね……。今ではだいぶマシになってはいるようですが(相方さん談)、それでもまだ、自分の中の感情や思考とそれらを照らし合わせて理解する、という一連のやり取りはしています。

上にも書いたように、一見、欲が無さそうor欲をコントロールできているように見える人は立派に見えるかもしれませんが、それでは相手の気持ちが理解できずにいずれ孤立します。

人間は人間と共に生きていかなければならないので、やはり人間くささはあったほうがいいのではないかと思ったわけです。

欲の出し方はまだボク自身コツを掴めていません。欲しい物を欲しいと言うことはまだ簡単ですが、それが本当に自分は欲しいのか?と考えてしまうわけです。

もしかしたら我慢できるのではないかと。もしかしたらずっと我慢できれば、いつかは不要になるものなのではないか、と。そうなるとお金がもったいないので悩むわけです。すると、欲しいとは言えなくなり、自分の心の内に閉まっておこうと思うわけです。

それでも一応、物欲は出てきました。PCとか、ゲームとか。でもまだ、自分にとって糧となるまではいかないかな。我慢しようと思えば我慢できる範囲です。

相方さん曰く「ゆまるは我慢しすぎだから、我慢しなくていい」と言ってくれるのですが、でも……そういうわけにもいきませんよね。お金は大事ですし。

欲が出れば、もう少し日々の生活が楽しくなるんでしょうかねえ。どうなんでしょう。ぬう。

この「欲」とは長い付き合いになりそうです。まあ、ゆっくり考えていきましょうかね。

それでは今日はこの辺で。




おわり。