兄貴"風"ってすごく生温そうな風。
久しぶりの更新です。間がだいぶ空いてしまいました。一応、更新分は書いてはいるのですが、上げるまでには至らぬことが多く、今も下書き保存した記事が大量に溜まっております。それを少しでも消化してしまおうと。がんばろう。
自分のここ最近は、仕事のほうはまあ順調。GWは相変わらず忙しかったですが、後半は徐々に落ち着きを取り戻してきました。
でもまた来月がハードなんですよねえ……。いつも6月は定期で大きめの現場が入ってて、しかも梅雨の時期なのでジメジメしてて気分も落ち気味になるので、何とか自分のモチベーションを上げていきたいところ。
さて、今日は少し仕事の話をしていきたいと思います。
初めて言うと思いますが、ボクの職業は清掃業です。いわゆる「美装屋」というもの。主に床の洗浄やワックス掛けを行っているビルメンテナンス系のお仕事です。社長がいて、作業員が数人いる小さな会社です。
現場はピンからキリまでありますが、基本的にはオフィスビルや事務所、飲食店の床を扱っていますね。学校や病院なども時々あるかな。まあ道路や土以外の床があればある程度どこでもやります。
で、現場によっては他の美装屋さんともバッティングすることがあります。店舗内の床などをやっていれば大体はガラス屋さんが多いですかね。その際は見ず知らずのガラス屋さんだったり、顔見知りのガラス屋さんだったり色々。
先日行った現場でも、社長の知り合いの(ボクらも何度か会ったことがある)ガラス屋さんと作業する機会がありまして。まあ一緒に作業すると言っても、作業場所は違いますが、移動する際に何度か顔を合わせることがありました。
そのときにですね、ガラス屋の親方に言われたんです。
「モップの絞り方が様になってきたね~」って。
ちなみにモップの絞り方や洗い方は、本当の初心者が一番最初に社長や先輩方から教わることです。新人が一番最初に入らされるのもモップの作業です。モップはいわば初歩中の初歩。
ですがボク、この会社に入ってもう5年も経っているんです。会社内では一番のペーペーですが、それでも初心者からは当の昔に脱していると思っていました。ボクは今のところ、全作業工程ができます。
それらを披露するときは限られていますが、社長からも「○○(先輩の名前)に時間があるときは教えてやれと言ってあるから」と言われましたし、言われた通り先輩には暇を見つけてもらい教えてもらっています。
そして今現在では社長がその現場に居なくとも先輩とボクだけで幾つか現場も任されています。一般的に、はたまた他の会社がどれくらいの期間と割合で全作業工程を新人に教えるのか、そして新人がその工程を覚えてから、どれくらいで一現場を任されるのかはボクは知りません。
ただ、いつもお世話になっている清掃会社では、社員以外には「ポリッシャーもワックスもやらせない、触らせない」と決めているところもあります。うちの社長も「ポリッシャーができる人はできるが、できない人は本当にできない」と言っていましたし、ワックスに限っては「センスの有無の問題」とまで言っていました。
この清掃業というのは、一般の方や他の業者などが思っているよりも、経験・テクニック・コツ、そしてセンスが必要な職業なんです。うちの社長もそうですが、基本的に現場で指揮を取る方は、言い方は悪いですが偏屈が多いです。職人肌系の方ですね。拘りが非常に強く、周りが考えるよりも更に自分たちのやった作業に対して、誇りと自信を持ってやっておられます。もちろん、ボクらもです。
入ってからこれまでも、一通りの床洗浄はしてきました。Pタイル・カーペット・石・フローリング・コンクリート、更に剥離洗浄などなど。社長や先輩たちに比べれば知識はまだまだですが、他のアルバイトの方よりは自信も腕もあると自負しています。
自信が徐々についてきたんです、清掃業者としての腕に。もしかしたら無意識にその自信の表れがガラス屋の親方の目に留まったのかもしれません。それならば普通に褒めてもらって嬉しいことなのですが、実はそのガラス屋の親方、前々から他人や作業工程を軽く見るクセがあるんです。軽く……というか、舐めくさる、と言いますか。
普段から「床の清掃なんて見よう見まねで何とかなる」なんて爆弾発言を平気で言い放っています。現に、床清掃の腕を身につけたいとのことで、以前うちの社長のところにやり方を教えてもらいに来た際に、一からそれぞれの作業のやり方を教えようとしたところ「あ、やり方は分かってるので(教えてもらわなくても)大丈夫ですよ。いつも窓やりながら他の業者のやり方を見てるので」なんて言ってうちの社長を唖然とさせてました。
じゃあ何を教えてもらいに来たんだ、となるじゃないですか。要は具体的に『どういうことをすれば床がキレイになるのか』と『どんな洗剤を使っているのか』。あとは気をつけるポイントのみです。それさえ教えてもらえば床清掃ができると思い込んでおられるんです。
しかもその日教えたのはポリッシャーだけ。後にも先にも、それ以外のことを教えてもらいに来た日はありませんでした。
そんな人に……そんな、作業の事なんて微塵も理解してないような人に、モップしてる姿が様になってきたなんて言われて、何というか、すごい屈辱で。普段からものすごい兄貴風吹かしてくるんですよ、ガラス屋さんなのに。
でもね、やっぱり床清掃の腕はね、残念なのですよね。何度か床の清掃業者としてやっている姿を見かけたことがあるんです。作業がめちゃくちゃ雑でして……。「床をキレイにする」ためではなく「ただやれば良い」というのがひしひしと伝わってきて。
でも、心が狭いかもしれませんが、それがあるから、ボクも理性を保っていられるというか。『口だけ兄貴』以外の何者にも見れなくて。でも、それで良いとも思っています。
だって、ガラスの腕は流石なんですよ。本当にピカピカなんです。それはボクにも先輩にも真似できません。うちの社長はガラスはできますが、あまりにも高さがあるところは怖いのでガラス屋さんにお任せしているようです。鳶職人の方や電気工事の方などもそうですが、高所で作業ができるって、普通の人には真似できないすごい事だと思うのです。
そんなすごい事をやってて、それだけで尊敬できるのに、そんな舐めくさった性格をしてるのがとても残念で。見た目はほんと、まともそうなお兄さんなんですけどね……。
人は見かけによらない。悪い意味でも本当にそう思います。
親方がいつか気持ちを改めてくれる日がくることを願って……。
おわり。
カレーが苦手な自分でも食べられたカレー。
昨日の晩ご飯にカレーを作ったんですよ。みんな大好きなカレー!ですが、以前にもちょっと触れましたがボクはカレー好きじゃないんですよね。
別に嫌いってほどでも無いし、食べられるんですけど、一口食べ、二口食べればごちそうさまできるくらい、好きではありません。カレーパンは好きです。カレーうどんも辛さを調整すれば食べれますし、好きです。でもなぜかカレーライスだけ好きではないんですよね。辛さを調整しても、ウゥン…モウイイデス…、となってしまって。
カレーってなんか"渋み"がありませんか?ボクだけでしょうか。隠し味なんて入れてない、ただの普通のカレーなのに、何だあの渋み。中辛と相まって喉にクる。その後、何か喉に毛玉のようなものが絡まった感じになるんです。「ん゛っ!」てなるんですよ。
ボクは元から香辛料系の辛さがニガテなこともあり(大丈夫なのもありますが)、実家にいる頃からカレーの日は、ボクだけポケモンカレーかハヤシライス(レトルト)でした。
今でもカレーと言えば、相方さんはレトルトカレーの中辛、ボクはハヤシレトルトだったんですけども、相方さんが都道府県別でカレー消費量No.1の鳥取県出身なので、やはりカレーは大好物なんですね。だから、ほんと気が向いた時だけたまーに作るんです。
で、最近CMでやっていたグリコの『ZEPPIN』というカレーのルゥが美味しそうだよね、と我が家で話題になりまして。
中に何やら旨みペーストのようなものが入ってるんですよ。それが、カレー好きじゃないボクでも「なんか美味そう……」とうっかり思ってしまうくらいに。なので、じゃあ今日はこれにしてみようかと。スーパーで1箱購入しました。
入れたのは人参・新玉ねぎ・じゃがいも、そして牛肉です。至ってオーソドックス。最初は箱の裏の分量通りに作ってみたんですが、ルゥを入れる前の煮込みで水分が殆ど蒸発してしまい、煮物のようになってしまったので、仕方なく水を足しましたが他は普段通りでした。
ボクいつも思うんですが、カレーの箱に書いてある8皿分とか10皿分って、どういうお皿に入れての分量なんでしょうか。ボクん家だと毎回3・4皿が限界なんですけど。あのレシピじゃ絶対書いてある分の量は作れないんですよね。もしかしてみんなお茶碗でカレー食べてるの?それとも小鉢?それか、食品会社の担当者の食が細いんですかね。
まあ何にせよ、この『ZEPPIN』カレーを頂いたわけなんですけれども、えっと、普通に美味しかったです。ボクでも食べられました。ボクはカレーうどんで食べたんですけど、そこそこカレーにうるさい相方さんでも「美味しい美味しい」と言って食べていたので、やっぱり美味しかったようです。
普段、一からカレーを作るときは相方さんのこだわりで、こくまろと熟カレーの融合カレーだったんですけど、ZEPPINはこれひとつだけで美味しかったです。でもやっぱり辛かった……まあ中辛だから仕方ないんですけど、生卵2つ入れても辛かったなあ。
でも、ボクの気になっていた渋みもこのルゥでは感じられませんでしたね。個人的にはすごく優秀だと思います。それに我が家で満場一致で「美味しい」と感じられたカレーは他には無いので、それを見つけられたのは大きいなと思います。やったね!
でもやっぱり、当分カレーはもういいかな、うん。
ごちそうさまでした!
おわり。
人間の半分は「欲」で出来ている。
今日から4月ですね。昨日はお世話になったフォロワーさん達に挨拶をして、自分が投稿した画像や何やらを眺めつつ、少し寝てから先ほどアカウント削除をしてきました。
自分が投稿した画像なんかを見てるとやはり少しもったいない気がしましたね。自分の世界を崩したような感じがして。大好きだった「どうぶつの森」関連の呟きやSSが、これでもう消えてしまうのかと思うと、自分で決めたこととは言え、寂しくなってしまいました。
でもまあ、仕方のないことですね。うん。
で、ちょっと前の記事でTwitterを辞めるうんぬんを書いたときに、自分自身を『人間味の無い人間』だと書きました。
それで調べてみたんですが、どうやら「人間味」と「人間くさい」は似ているようで少し違うみたいですね。
「人間味」というのは、人の温かみや人情的なものを指すようですが、対して「人間くささ」は人間が不完全であるが故の言動、また、善し悪しはどうであれ、共感できる感情や気持ち、などが当てはまるそうです。
なので、ボク自身を指す意味合いとしては後者「人間くささが無い人間」というほうがしっくりくる気がします。今日はそれについて話していきます。
さて、人間くささですが、人間が不完全であるが故の言動、そして善し悪し関係なく、共感できる気持ちなどを指すようですが、これを見たときに、なるほど……と自分でも納得できてしまいました。確かにボクは人間くささが感じられにくいタイプの人間なのかもしれない、と。
ボクの母親はある宗教団体に属していまして、名は伏せておきますが、そこそこ名の知れたキリスト系の新興宗教です。
その宗教の目的というのは、今の世をどうにかしようという訳ではなく、神様により近い存在になって、死後の世界で神様に近い場所で何の苦労も悲しみもなく楽しく暮らすことです。まるで夢のようなお話しですね。まあ実際、夢物語なんですけれども。
そこでポイントなのは「神様により近い存在になること」なんですけど、母親がその宗教にお熱になったのが、兄が2歳かそこらで、ボクがまだ母親の腹の中でぬくぬくしてた頃みたいです。
宗教に入る方というのは、大半がこの今の世で何かしらの"生き辛さ"を少なからず味わった方々だと思うので、たぶんボクの母親も何かしらで悩みに悩んだ結果、入ったのだと思います。
元は母親も真面目な人ですから、その宗教の教えをしっかり学んで、神様により近い存在になろうと躍起になったはずです。そしてもちろん、自分の子供も同様に。
ある程度年を重ねると自分自身の融通が利かなくなってきますが、子供は違いますよね。一から人間の根本を構築できます。良い言い方をすると躾、悪い言い方だと洗脳と言います。
その"洗礼"をボクはもろに受けた訳です。兄は要領が良かったのか、それとも元々良い子だったのかは分かりませんが、より洗礼を受けたのはボクのほうでした。
どんな洗礼だったのかは言い出すとキリが無いので割愛しますが、簡単に言うと「この世で生きていくための術を殆ど教えず、飴無しムチばかりの厳しい世界で、神様に近い存在となる為の訓練をしていた」というような感じじゃないでしょうか。
人間として生きる為に育てられたわけではなく、神様に近い存在になる為に育てられていたわけです。まあ、そんな親の希望虚しく、その目論見はボクが小学5・6年のときにあえなく崩れ去ったわけなんですけれども。
まあ、崩れ去ったお陰で、神様に近い存在に成りきらぬ人間で留まったわけなんですけれども、それでも20歳くらいまではそんな親と共に住んでいたわけですから、知らぬ間に根付いてしまっていたものがありました。
それが「無欲」です。欲というのは良くも悪くも、生きる上での大事なエッセンスになりますよね。欲の種類も結構あって、人間の三大欲求と言われる食欲・睡眠欲・性欲と続いて、大きなものでは独占欲や支配欲、物欲、自己顕示欲や承認欲求なんかも含まれるんでしょうか。
その中でボクが人並みに持っているのは、自己顕示欲くらいなんじゃないでしょうか。こうしてブログをやっているわけですし、少なからずあるでしょう。でもそのくらいですかね。昔は承認欲求も多少あったかも、というくらい。ほぼ無欲に近いんですよね。
欲が無いだけでも人間くささはだいぶ薄れます。というか、人間の大半は欲なんじゃないかと思うくらい、人間にとっての「欲」というのは大きな存在だと思います。
欲が無いと、まず自分が楽しむことができないんですね。欲が無いから、したいことも欲しい物も無い。まあ自分が欲してないから、そこまで不便に感じたことは無いのですが、問題は誰かと接するときですね。
異性とお付き合いをしたときなどに、必ずイベント事というのがあります。誕生日やクリスマス、バレンタイン・ホワイトデーなど。
相手の方も「何か欲しい物ある?」と聞いてくれるのですが、何せ欲しい物があまりないので(あっても服などの消耗品)、別に無いと答えて幾度も困らせたことがあります。
そして何とか相手の方も捻りに捻って、プレゼントをくれますよね。ならば、今度はお返しをしなければなりません。これが一番苦痛なのです。
相手の方が欲しい物を挙げてくれれば、万事解決なのですが、そこで繰り出す禁忌の技「何でも良いよ」を発動するわけですね。
これが一番困るわけです。いや、これはみんな悩まされる言葉ではあると思うんですけど、大体友達などに「何をあげれば良いのか」と相談すると、また相談相手が必殺技を繰り出すわけです。その名も秘技「自分が欲しい物とか、貰って嬉しいものをあげればいいと思うよ」です。
無えよ!欲しい物無えんだよ!そんな、責任取りたくないからって秘技で逃げないで!こっちは真剣なんだよ!と。
しかも何?貰って嬉しいもの、だと……?
何でも嬉しい自分はじゃあどうしたらいいんだよ!その言葉通りに何でもあげちゃったら絶対ダメだよね?めんつゆとかあげちゃったら絶対ダメだよね!?ボクは嬉しいけどね!絶対ダメだよね!!と。
欲の無い人間は、相手の気持ちを理解できないんです。相手の欲してる物も事柄も言葉も分からないから。自分には無いものなので。
だから、Twitterだけではなく、人とコミュニケーションを取ることが苦手なんですね。子供は何にでもストレートに言葉を発してくれますから、時に大人が傷つくような言葉を発動してガラスのハートが打ちのめされることはありますが、基本分かりやすくて大変助かります。
ですが大人は……本当に難しいですね。回りくどくて、遠回しで、曖昧な言葉でボクを翻弄します。なので、男女関係なく正直な人が好きです。分かりやすいので。
欲が無いと、結構色々な問題にぶち当たります。相手の言動のひとつひとつの意図を考えなければならないし、本っ当にすごく小さなことでめちゃめちゃ悩んだりします。
自分にとって不可解な事柄が多すぎるのです。なので、そんなときは、相方さんに相談するのが一番手っ取り早いですね。
こうやって言う時は、相手はどんな心境なのか、とかね。その言葉を言う意図は?とか。相方さんにしてみれば「そんな小さなことまで深く考えるの?」と思うみたいですが、やはり分からないのは嫌な性分なので。そして、自己判断だけでは偏りが出ますしね。できるだけ"普通の人間に近づく"ことが必要だと思うわけです。
まだ、自分には欲が無いと気づく前、あまりにも相手の気持ちが理解できなくて、友人と少し口論になったことがあります。
友人には当時付き合っていた彼氏が居たのですが、彼氏が女友達と連絡を取っていて、それがとても不快だと言っていて。
私と付き合っている間は、私以外の人と連絡を取らないでほしい、という気持ちをボクに分かってもらおうと話してくれていたのですが、ボクには独占欲というものが無いので、相手の人の気持ちが理解できず「ボクは気にしない。例え付き合っている間柄でも、相手の行動をコントロールする権利はないと思ってるから」と言ってしまいまして。
すると友人は冷めた目付きで「ご立派だねえー(棒)」と言われて。明らかに嫌味と取れるような言い方で、ありゃ、何か間違ったかな?とその後1人悶々とした覚えがあります。
こういう小さな事が多々あったわけです。分からない間はとてもしんどかったですね……。今ではだいぶマシになってはいるようですが(相方さん談)、それでもまだ、自分の中の感情や思考とそれらを照らし合わせて理解する、という一連のやり取りはしています。
上にも書いたように、一見、欲が無さそうor欲をコントロールできているように見える人は立派に見えるかもしれませんが、それでは相手の気持ちが理解できずにいずれ孤立します。
人間は人間と共に生きていかなければならないので、やはり人間くささはあったほうがいいのではないかと思ったわけです。
欲の出し方はまだボク自身コツを掴めていません。欲しい物を欲しいと言うことはまだ簡単ですが、それが本当に自分は欲しいのか?と考えてしまうわけです。
もしかしたら我慢できるのではないかと。もしかしたらずっと我慢できれば、いつかは不要になるものなのではないか、と。そうなるとお金がもったいないので悩むわけです。すると、欲しいとは言えなくなり、自分の心の内に閉まっておこうと思うわけです。
それでも一応、物欲は出てきました。PCとか、ゲームとか。でもまだ、自分にとって糧となるまではいかないかな。我慢しようと思えば我慢できる範囲です。
相方さん曰く「ゆまるは我慢しすぎだから、我慢しなくていい」と言ってくれるのですが、でも……そういうわけにもいきませんよね。お金は大事ですし。
欲が出れば、もう少し日々の生活が楽しくなるんでしょうかねえ。どうなんでしょう。ぬう。
この「欲」とは長い付き合いになりそうです。まあ、ゆっくり考えていきましょうかね。
それでは今日はこの辺で。
おわり。
スマホの話。
開き直り=棘付きの楯、のようなもの。
先日書いた記事のタイトルが、なぜか何も書いてない状態になってました。タイトルはいつも内容を全て書いた後、一番最後に決めてるのでもしかしたら忘れてたのかも。
全く風邪をひかなくなったんです。
ほんと久々にグラブル話。
ほんと、毎日寒いですね。1月の後半辺りで大寒波がやってくるとあちらこちらで大騒ぎだった西日本ですが、結局日本海側しか雪降りませんでしたね。
Twitterにやめるも何も無いんだけど。
何だか今期の冬はそんなに寒くないなー、比較的過ごしやすいなー、なんて思ってたらここ数日すごい寒いじゃないですか。何なんですかこれ。
地球温暖化のせい?そんなことはどうだっていい。いや、良くないけども。
コタツから出ても手足が冷たくならない、防寒具で丸々とした醜い姿で外へ出なくても寒くない冬がほしいだけのボクです。どうもこんばんは。
ボクは今Twitterをやっていて、今見てみましたら始めてから6年も経っていたわけなんですけども、そんな長い間やっていたTwitterを今年の3月でやめることにしました。
そもそも何で始めたんだっけか。知り合いの人に誘われたんだったかな。最初はやり方が分からなくてほぼ2年くらいは放置気味だったんですが、リアルの友人や自分の興味あるジャンル関連で知り合った方たちにフォローされ、ネット上で絡んでいくうちに徐々にやり方が分かってきたんですね。
ですがボクのツイート、6年もやってきたにもかかわらず1万すら満たしてない。ほとんど眺めるだけだったんですよね。そうなんです、6年もやっていて未だに楽しみ方が分かってなかったんです。
でもね、最近漸く分かったんですよ。
ボクのフォロワーさんが以前こうツイートしてました。
「Twitterの楽しいところは、自分が構ってほしいときに程よく構ってくれるフォロワーさんがいることだと思う」と。
なるほど!と。それで気づいたんです。Twitterはボクには向いていないんだ、と。
ボクはTwitterを"文字数の少ないブログ"のようなものだと思ってたんです。自分が思ったことや好きなもの、少し腑に落ちないことなどを140文字内に収めるものだと。
いわば自分の世界ですよ。自分の世界観の集約が自分のツイートで、それに誰が賛同しようがしまいが関係ない。そういうのは二の次です。そりゃ、共感してくれると嬉しい気持ちはありますが、それよりも自分の世界観の構築がメインだと思ってました。
自分の好きなものや興味のあるものの情報を知り、集めて楽しむ。それがあるからこそ、そこからコミュニケーションが生まれるのだと。
楽しみ方は人それぞれ、人の数だけありますから一概に「これが正しい」「これは間違い」ということはないでしょうけど、基本的にTwitterをしてる方って「構ってもらえてナンボ、評価されてナンボ」というところ、ありませんか?
今までそれを楽しいとボク自身が思ったことがないので、ああ、ブログとは全然違うものなんだ、楽しみ方が合わないんだ、と6年目の今漸く気づけたわけです。
他にも色々、リアルが忙しいなど理由があるんですが、ここでも思うことはやっぱり自分は"他の人とはどこか違うんだ"ということ。別に違うからと言って、決して"特別"というほうの良い意味ではなく、もちろん悪い意味でです。
これで良いとは微塵も思ってません。
より普通に近づけるよう自己改革が必要です。
これに関してはまた別の話なのでまた別の機会にでも書きますが、ボク自身『人間味の無い人間』だということが最近分かったんです。それが"他の人とどこか違う"点であり、ボク自身の最大の難点だと思っています。
これがあるから普通のことも楽しめないし、人の気持ちも理解しにくい。
でも、それをどうすべきか、ボク自身もまだ分からなくて、しかもすぐに解決できる問題でもないので、Twitterもとりあえず遠のく形を取ったんです。
誘ってくれた方には申し訳ないことをしてしまうのですが、ボク自身の問題が解決できればまた戻れるかもしれないですしね。今はただ、再び自分と向き合う時期が来たのだと思っています。
ただTwitter辞めるだけで、何だか壮大になってしまいましたが、少なからずボクにとっては大きな問題なので、適当に流してしまって良いです。「勝手にやめとけよ」くらいの感じで。
では今日はこの辺で。
おわり。