じゆうちょう

大切にしたいから、忘れないために書いてます。普通なことから小難しい話題まで。雑多です。

近況報告と、この3週間の出来事。

最後に更新してから早3ヶ月。

ここんところ色々あって、まだ心の整理がついてないのですが、一応メモとして残しておこうと思う。広告も出てるしね。

 

まず、前回書いた相方さんの顔面麻痺の話

これは、発症してからちょうど1ヶ月くらい経った頃かな?1月の末辺り。

無事元の顔面に戻りました

原因は最後まで不明。でもまあ、あの頃は相方さんのストレスがマッハな時だったので、きっとストレスが原因でしょうな。

あと、不規則な生活ね。

これは職業柄、致し方ないことなのでどうすることもできなかったのだけれど、朝早くから仕事に行って、夕方の6時頃帰ってきて、1時間後また仕事に行って、翌日の朝方に帰ってくる……こんな生活してたら、そら何かしら支障をきたすわなってこと。

それもこれも、完全にお姫様な社長が原因です。

うちの会社は運転手が相方さん1人しかいないのです

社長は運転免許持ってないので。社長なのに

でもボクも運転免許は持ってないですが、運転手が運転している間、どれだけ精神を消耗してるかどれだけ緊張しているか、ある程度慣れた道でも心身ともに疲労していれば、楽ちんと言うわけにはいかないってことくらい、少し考えれば分かりますよ。

それがうちの社長は分からなかったんです。想像力が足りなさすぎるんです。

だからあんなに無茶な予定を組む。

自分は助手席に乗ってるだけで良いですもんね。積み荷と一緒ですよ。

他の同業の知り合いの方にもこんこんと言われてたんですけどね。

「もうちょっと運転手の気持ちを考えてやらんと。しんどいで?運転は」って。

聞く耳持たずヘラヘラ笑っとりましたわ。本気で殺意を覚えました。

 

まあそんな社長の下で4月の下旬まで働いてたんですけど、辞めました。

夫婦で同じ会社で働いていて、夫婦ともに辞めてしまったので、現実さんから往復ビンタ食らわせられそうな無謀ぶりだとは思うんですが……相方さんの実家の鳥取に帰ることになったんです。

前々からお義母さんから「こっちに帰ってきてほしい」と言われていて、かなりの年月お茶を濁しまくってたんです。こっちで仕事してるしね、普通に考えるともうこのまま大阪に骨を埋める感じになるんだろうなとボクら2人とも思ってたんです。

ボクは相方さんが居るところにくっついて行くだけなので住むところは何処でも良かった。相方さんは正直、鳥取に帰るつもりなんてなかったそうです。

でも、あのお姫様社長がね……言葉は悪いですが、本当に何かしら精神を患っていらっしゃる方のような言動ぶりなんです、普段から。最初は認知症?とか思ったんですけど、どうやらそうじゃないような感じ。

前にネットでモラルハラスメントを調べていた時に、何やら気になる記事を見つけまして。境界性人格障害という精神病の記事。この病気の方はモラルハラスメントを起こしやすいのだそう

で、その記事を読んでみましたら、まさにうちの社長だったんです。え、もしかしてうちの社長のこと知ってる!?ってくらい、まんまソレでした。

まあ素人判断なので本当にそうかどうかは分かりません。もしかしたら境界性~とよく似ている自己愛性人格障害』のほうかもしれませんし。むやみやたらに「あの人精神病じゃね?」なんて疑うのも良くないですしね…。

でも社長の言動は余りにも常識の範疇を越えていて、よく同僚の方や夫婦とで「何であんな考え方しかできんのやろうなあ…?」と愚痴をこぼしておりました。

そう、考え方が普通じゃないんです。

基本、人のせいにする。自分が悪いなんて微塵も思ってなくって、とにかく自分は正しい、アイツが間違っている、の一点張り。こちらはいつも理不尽な思いをするので、それに対して文句を言うと「お前はいつも人のせいにする!」って怒る

お前が言うなー!!と思わず叫びたくなります(笑)

単にネガティブって訳じゃないんです。ネガティブな人って基本的に悪く思うのは自分、原因は自分にあるんじゃないか?という思考の持ち主ですが、違うんです。

社長の場合、悪いのはいつも相手のほうで、原因も相手にあると思ってしまう。少しでも気に入らない事があれば「アイツ嫌い」。想像力もかなり乏しい人なので、誰かに少し冷たい言い方をされた時でも「ちょっと疲れてたのかも」とか「忙しかったのかも」等とは考えません。「礼儀がなってないヤツ!」になるんです。

めっちゃ極端なんです。まあ、分かりやすいっちゃあ分かりやすいんですが…。

とにかくもう面倒くさい人で、感情の浮き沈みが激しく自分でコントロールが出来ないとか、言い分が全て感情論とか、そもそも営業出身なのに報・連・相が出来ないとか、人の礼儀に対しては煩いくせに自分は「おはようございます」「お疲れ様でした」「ありがとう」「ごめんなさい」という基本中の基本が全く出来ないとか……アンタ今までよくそれで社会で生きてこれたね…ってくらい、もー悪いところを上げ出したらキリがないほどに、良いところを上回ってしまっていたんですね。

限界でした……(›´ω`‹ )ゲソー…

ボクは言うてもヘルプ要員だったわけで、忙しい時や人手が足りない時に呼ばれる程度だったので、月に10回くらいしか社長とは会わなかったんですが、それでも心底嫌い、二度と顔を見たくないと思うほどでした。

それと比べて、10年以上ほぼ毎日休まず社長と仕事をしていた相方さんの精神疲労たるや、ですよ……同性で"生理的に無理"ってくらいにまでなるって相当だと思います。

本当に良く耐えたね……本当に良く頑張ったよね……。゜(´⊃ω⊂`)゜。

 

さて、4月の下旬に憎っくき社長と歓喜の別れをした後、鳥取に行って鳥取で住むための部屋探しをしました。同居せんのかい!とも思われるでしょうが、こちらには冷蔵庫と洗濯機ががあるのです。大量の荷物もあります。ご実家にそんなデカい物を2つも置いて、更にダンボールだらけにするのは忍びない……。

それと、結婚は家同士との結婚、旦那さんのご両親も自分の両親と同等に思え、とは言いますが、それでもはやり他人同士。血のつながりはありません。

相方さんのご両親は本当にとても良い方々で自分の親よりも大好きなんですが、相方さんが「やっぱり一緒に住むのは(ボクが)気まずいんじゃないか?」と気にしてくれたので、とりあえずはご実家の近くの賃貸を探そうかということになりました。

鳥取で約1週間探し、実家からもそこそこ近く立地もなかなか便利で良い感じのところが見つかったというところで、じゃあ一度帰ってうちの親と相談しながら引っ越しの準備を本格的に進めていこうか、というそんな時。

うちの父親がこの世を去りました。

 

前々から入退院は繰り返していたんですけど、かなり進行が早くて1年も経たないうちに亡くなってしまいました。

父方の祖母、つまり父の母親はまだ健在で、通夜・葬式の時はかなり辛そうにしてしていました。御年92歳の元気なおばあちゃんなのですが「長く生きてたのは息子の死を見るためじゃない!順番がちゃうやろ!慌てにもほどがある!」と泣き崩れてしまって……。

 

63歳、まだまだこれからという時でした。

第二の人生を謳歌してほしいと、退職祝いの手紙にも書いた覚えがあります。

もう少し生きていてほしかったな……というのが本音。

父は病気で亡くなったのですが、病気の詳細についてはまた今度。

今はまだ、父の事を語る気にはなれないので、ここら辺で終わっておきます。

 

とにかく、仕事を辞めてからは怒涛の3週間でした。

今は実家に通って、父の遺産やら保険やらの手続きで忙しくしています。

これからもまだ忙しくなるだろうな。

ボクらの引っ越しも控えているしね。

落ち着いたらまた書きにこようと思います。

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

おわり。