じゆうちょう

大切にしたいから、忘れないために書いてます。普通なことから小難しい話題まで。雑多です。

またひとつ当たり前ができるようになった。

だいぶ放置してしまいました。もう所々で桜が咲いてますね。ボクん家の近所の桜も満開になってました。まあ今回の雨で殆ど散ってしまった可能性大ですが。

ここ一週間は色々と忙しかったです。ただ、忙しかった中でも新しい発見をしたのですよ。そのメモとして書いておきます。

 

普段から「友達いないから」とか言ってるボクですが、ちゃんといるんですよ。ただ自分自身に自信が無くて相手との距離のとり方がイマイチよく分かってないせいで、極端に懐いたり極端に淡白になったりするので、他人もボクに振り回される上に、一度グチャグチャになると収拾つかなくなって最終的にボク自身壁を作るので、余計に距離の取り方が分からなくなるという……。ちょっと残念な感じなんですね、ボク。

でもほんとつい最近、友達を作る方法といいますか。距離のとり方が段々と分かってきましてね。「ああ、こうやってやるんだ」って。

数年前、友達からに友達の作り方を簡単に説明してもらったんですけど、その友達が言うには「喋って相手が心を開くか開かないかは相手次第。もし開いたら進めるところまで進んでいけばいいけど、開かない場合は待つ。開けてくれるのをひたすら待つ。ひたすら開かない扉の前でたくさん話して、遊んだりもして、それで開けばアナタのことを受け入れる準備が整ったということ。その準備が整うまでアナタは待たなければいけない」と。

最初はその言葉の意味がイマイチよく分からなかったんですが、今なら分かります。ひたすら待って、その間にも「開くかなー?」とドアノブをひねるチャレンジは必要なんだな、ということも。一見閉まっているように見えても、実は鍵が開いていた、ということだってあり得るんですよね。

そんな簡単で当たり前のこともボクは分からなかったんです。本当にここ数日でそれを知りました。初めて心から、人と喋ってて「楽しい、嬉しい」と感じました。

ボクの両親の話は前に少しだけしましたが、ボクは保育園も幼稚園も行ってなくて、小学校から一気に社会デビューしました。周りは当然、保育園や幼稚園に通っていた子ばかりなので、小学校に上がる前から顔見知りの子がいたり既に友達関係でいる子が多かったんです。

その上、親から「学校の子とは遊んだらダメ」と言われていたので、学校で友達と呼べる子は一人も居なかったんです。それでも仲良くなった子はいましたが、子供の頃ってあんまり深く考えなくともある程度友達になれますよね。でも中学からはなんか違う。やはりそれぞれが持つ内面や技量が必要になっていく気がします。ボクの場合はそこがたぶん育たなかったんでしょう。友達の作り方もわからないまま大人になってしまって、その後20年ほど悩み苦しむことになりました。

でも最近やっとコツを掴んだんです。相手は同じ職場のオジイです。今年で何歳くらいだろう……70は超えてるはず。もう本当にオジイなんです。

オジイはおしゃべりが好きで、よく他の人と喋るのですが、ボクとは当たり障りの無い話しかしなかったんですね。まあボクも当たり障りの無い受け答えしかしなかったのが悪いんでしょうけど、会話のキャッチボールと言いますか、それができなかったんですね。

でも数日前に仕事で2班に分かれて作業しなければいけない現場で、ボクとオジイと2人で休憩行ったりする日がありまして。ただ黙ってタバコ吸うのも気まずいですし、ためしに自分のことをちょろっと話してみましたら、オジイが結構話に乗ってきてくれまして。

そのとき気づいたんです。「ああ、この人には自分のこと話してもいいんだ。ちゃんと話を聞いてくれる人なんだ」と。今までそれを知ろうともしなかったんです。元々人間観察は好きでやってましたが、それは第3者から見た観察であって、それを自分と当てはめて、とか自分に対してはどうとか、そういうのまで考えなかったんですね。いわゆる応用ができなかったんです。

さっきの扉の話で言えば、オジイのドアの鍵は既に開いてたんですよ。いつ開いたのかは知りませんが、それにボクは気づかなかった。入ろうとしなかったんですよ。開いてたら中を覗いていいんですよね。ちょっと入ってみてもいいんですよね。それに気づくまでにこれだけかかったんです。長かったです。

それが分かってからは、少し肩の荷が下りたというか、本当に楽になって。会うのを後回しにしていた地元の友達とも久々に会えて、軽い気持ちで話せて遊べて、この一週間はとても充実した一週間でした。

こんな終わり方したらまるでフラグのようですが……。

とりあえず今ちょっと筋肉痛で腕がつらいので、今日はここまで。

友達とのことはまた後日、書こうと思います。

 

 

おわり。